立春が過ぎましたね!
養蜂業界では昔、九州から転地を始めていたころは
立春は「蜂春(ほうしゅん)」と呼ばれ、
シーズンの始まり、仕事の始まりの区切りだったそうです。

少し前ですが、2月1日に岐阜市にて、
岐阜県養蜂組合連合会の創立60年記念式典と
ぎふけんはちみつ共進会の表彰式と、
養蜂技術講習会が行われたので、
出席してきました。

普段はツナギの養蜂家さんですが、
ジャケットの人が多いです!
まずは会長のお話。
いつでも最初は会長のお話からですが、
会長の話はいつも面白いので、実は私は楽しみにしています。

今回は60年記念ということで、岐阜県の養蜂の歴史を少し。
冒頭の蜂春の話も実は会長のお話で知りました。
岐阜県養蜂組合連合会は60年なんですが、
これは現在の形態、名称になってからのことで、
最初に組合ができたのは明治時代、100年以上も前のことだそうです。
フソ病の蔓延、砂糖の輸入によるハチミツの大暴落、
養蜂振興法の成立、それにともない、
フソ病群は強制焼却が開始、
岐阜の養蜂家たちは長良川の河原で泣く泣くミツバチを焼き、
そして長良川の河畔に「ミツバチの碑」を建立するに至ったそうです。
親方からも昔の話をたまに聞きます。
今は車だけど、昔はリヤカーだったから、朝は2時とかに起きだして仕事に行ったとか、
今じゃ信じてもらいないけど、自転車の前にかあちゃんのせて、
後ろに分離機と(空の)一斗缶を16背負って、
砂利の山道を登って採蜜にいったとか、
親方の昔話はいつか書きたいです。
昔の話をいろんな人から聞くたびに今はなんて楽ちんなんだと思います。
そんな時代を体験してきた方々を、養蜂組合の功労者として表彰も行われました。

同じ西美濃組合のゴローさんも表彰されました!

表彰者の代表は80を過ぎた「おじいちゃん」ですが、
「まだ北海道に転地してます!」
と高らかにスピーチ。
ハチミツも健康の役に立っていると思うけど
一番の元気の源は「ミツバチ」
ハチとともに自然の中で汗を流して労働するのがいかに素晴らしいかと
おっしゃっていました。

さて、次は大学の先生をお招きしての技術講習会です!
後編につづく・・・・小森養蜂場